心配を預ける

人間であるから、生きている間は先々のことを考えもしようし、心配の尽きる時はあるまいが、それがみなおかげになれば、心配はあるまい。心配は、信心すればみなおかげになる。心配は体に毒、神に無礼である。心配する心を神に預けて、信心する心になれよ。おかげになる。

現在資格取得の実習中で、日々奮闘されている滋賀県在住の女性(40代)が、2度目の参拝をされました。焦りが先に立ち、空回りして失敗ばかりしているようです。

以下は、参拝後に届いたお礼のメールです。

お参りが終わり、駐車場で時計を見てビックリしました。2時間も話していたんですね・・・・。我ながらまとまりもない話を長々としていたことに、恥ずかしいやら情けないやら。それでもあきれずにお話を聞いてくださってありがとうございます。

今の状況から脱出する方法や、自分のモヤモヤした気持ちの答えが出るんじゃないか、そういう思いをもってお参りをしようとしていたんだと思います。自分で何とかしないといけない、気持ちばかりが焦る、結局できない、ますます焦る私。

神様にお任せする余裕すらなかったんですね。単に、時間が足りない、レポートが書けないんではなくて、お願いする心の余裕がないことに気付きました。せっかく最初のお参りで“おかげ”をいただけ、そのことにとても感謝していたのに、他のことも“おかげ”をいただけばいい、なんてどうして気付かなかったんでしょうか。願うから叶う、神様にお願いしてお任せする、単純なことですが今日をきっかけにことあるごとに(笑)、お願いしていくことにします。

春季大祭が6月に延期(新型インフルエンザの影響)されたのでその時にお参りしようかと思っていたのですが一人で車で行って時間などの様子を見たかったこともあり、今日参らせていただきました。国道307号線の途中で、温泉らしき建物を発見したので、気分転換にいつかドライブがてら、つかりに行こうと思います。今日は本当にありがとうございました。

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