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おかげ信心の醍醐味

2010-08-16

我を放せば神になるというが、人間は、生きている間は健康繁盛を願い、農家が五穀成就を願い、商売人が商売繁盛を願うのは当たり前の欲である。我を放さなければならないといって、商売人が損をしたり農家が穀物を取らなかったり、人間が早死にをしたりしたら国はもたない。

8月22日(日)、桃山祈願祭のイベントが開催され、午後2時から「夢祈願虹祭」が仕えられます。叶えたい夢のある方、芸術や文化の活動で大きく飛躍したい方はぜひお参りして下さい(祭典の詳細及び郵送用の人形はコチラ)。なお、午後3時からは屋外にてミニライブが開催されます。

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兵庫県在住の女性(40代)が月参拝されました。数年前、初参拝された彼女は、精神的に追い詰められ、話をしていても目の焦点が定まらないような不安定な状況でした。その後、毎月参拝される中で、精神的に落ち着きを取り戻し、現実の生活の上でも少しずつ目に見えておかげを頂かれていきました。

彼女はいつも、ここまで現状が改善してこれたことの感謝とともに、これからのことを細々と願われています。「いつもいろいろとお願いさせて頂いていますが、こんなにお願いばかりしていてもいいのでしょうか?なんだか欲深いような気がして・・・。」と願うことが悪いように言われたので、

「いいんですよ。しっかりお願いしておかげを頂いて下さい。世の中には、おかげ信心はダメ、神様に願ってもダメという声もあるようですが、そんなことを気にしていてはいけません。もう少しで、ひとりで立って生活できるところまでおかげを頂いてきたじゃないですか?ここで後ろに下がってはいけませんよ。」と言わせて頂きました。

おかげ信心はダメだと言われるのは、おそらく自己中心的なおかげのみを想像されるからでしょうが、それは一時の中途半端なおかげのことを言われているからでしょう。ギリギリの状況にいる難儀で苦しんでいる人に、いきなり人様のお役に立つような利他的な生き方を求めることなどできません。また、そんな余裕があれば、そこまでの状況にも陥っていなかったことでしょう。

そういう意味でも、最初は、自己中心的なおかげでもかまわないのです。たとえ最初はそうだとしても、反復して神様からおかげを頂いているうちに、神様の存在や愛情に気づき、おかげの中身(意味)も変わり、心に余裕が生まれ、自己中心的なあり方も、自然と利他的なあり方へと変わっていくものなのです。どんな道でもそうですが、続けること、反復することが大切だと日々感じています。

もちろん、独りよがりにならないためにも、その場で話を聞いてくれる取次者や指導者がいる方がいいでしょう。どちらにしろ、自己肯定、自己受容ができていない人間が、利他的な生き方を心がけたとしても、空回りしてしまうのは目に見えています。まずは、そのためにも、神様から愛されている実感を心の底から感じるほどのおかげを頂いてもらいたいと私は思っています。

※画像は、『スピリチュアル・ライフのすすめ』。あるご縁で知り合った慶応義塾大学准教授、宗教学者の樫尾直樹先生の著書。開かれた宗教として「願いの宮」の活動にも注目して下さっているようです。

東京「NEGAINOMIYA」イベント情報はコチラ(宮司を囲む会参加者募集中)。


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