願いの宮とは
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HISTORY
願いの宮100年史
連綿と紡がれる信仰のかたち。
宮の歴史は常に地域社会の発展とともにありました。
思い返せば、大正八年一月八日 難波教会、近藤藤守師の元で修行した井上又兵衛、
定次郎親子により開かれた「神道金光教桃山教会所」がすべての始まりとなりました。
この地でしだいにおかげを受ける人が増え始め、昭和四年、堂ヶ芝より烏ヶ辻へ移転、
美しき教舎を建築。以来、「桃山の金光さん」として、政財界から歌舞伎界、
花柳界にいたるまで幅広い人々を救い心の支えとなり、繁栄してまいりました。
その後、戦災等に遭い、辺り一遍、焼け野原となり、衰退を余儀なくされましたが、戦前、
戦中、戦後と人々の助かり、地域社会の発展の祈りを休むことなく続けてまいりました。
1919年
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1919
「神道金光教桃山教会」設立
桃山駅(現桃谷駅)前に開教された。写真左から父・井上又兵衛(2代目)、子・定次郎(3代目。難波教会長の手代わりとして多忙の父に代わり、初代桃山教会長を務める。のちに宮を継承、3代目に)。
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1929
烏ヶ辻へ移転
堂ヶ芝より烏ヶ辻へ移転。
この地に設立された教舎(写真右下)は以来、平成まで布教の拠点となる。上棟式を祝い多くの人々が詰めかけた。(写真横) -
1945
第二次世界大戦の戦災
お社を持って逃げ、仮建築の宮にて翌日より取次を始める。
1945~
戦災からの復興
終戦後、宮の復興が急速に進む。同時に定次郎が中心となってボーイスカウト活動に尽力する。定次郎は大阪連盟理事長、のちに日本ボーイスカウト連盟副コミッショナーとして活躍。
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1964
墓所設立
4代目・井上恵一を中心に瓜破墓所の設立が進められる。
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1969
集会場を設立
5代目・井上礼子(恵一・妻)が中心となり学童保育に集会場を提供する。この頃、勧学祭を始めとする行事も活発におこなわれ、地域社会になくてはならない存在に。
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1989
開教70年記念祭
世界宗教者平和会議(WCRP)創設中心者である泉尾教会、三宅歳雄師の講演。
6代目井上嘉廣により、天地書附の世界(互いに祈り合う祈念の会)がおこなわれはじめる。 -
1999
井上清志、7代目教会長就任
これより5年の行に入る。写真は修行中の清志(のち、「桃山きよ志」)。
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2001
宮の新築落成
烏ヶ辻に新教舎が完成。井上嘉廣、町内会の御用に。
(烏ヶ辻振興町会長、その後、五条連合振興町会会長を歴任) -
2004
『願いの宮』の始動
5年の行満願、宮の名称を願いの宮に変更。ネットでの啓蒙活動、メディアへの露出などが飛躍的に増える。
この頃から「桃山きよ志」名義で活動をはじめる。関西TV『となりの人間国宝さん』に認定される。
2018年
100周年記念プロジェクト立ち上げ