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神道家言霊シリーズ1

2005-05-07

わが心清め清めてよく見れば まことは神も我が心なり
<橘弘政 ・ 心の百首>

神とは何ぞやの問に答える道には色々あります。「自心即神」であると答えるのもその一つだと思います。

卜部兼倶(室町時代の神道家)は「心は明神の舎」であると言い。これは、神の存在を認識するのは、自分の心に外ならないことであることを伝えた言葉です。

デカルトが「我れ思ふ故に我れあり」ともいったことの深い道理がここにあるのかもしれません。

したがって、神のありやなしやの問答は、その人の心が、これを問題にしているのであるといえるのです。

その意味に於て“心こそ”神に通じる肝心な通路だといえるのです。

「おかげはわが心にあり」

江戸時代の神道家川手文治(金光大神)は、生きた神を蘇らせ、おかげを民衆に授けることによって、神の実在を説きました。

心の奥底にひそむ、この霊智を早く見い出し、霊眼の早く開けた人の人生ほど、幸福にして幅広いものはないのです。

「願いの宮」には、おかげがあります。なぜなら、私の心に生きた神がおられるからです。

死んだ神を拝んでも、おかげはありません。

※参考文献「神道を知る本」

  • 株式会社桃山社中
  • 願いの宮神前式 for LGBT