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お知らせ
宗旨宗派を問わない開かれた宮
2006-02-22
今日は、人生の悪循環に陥り、長年の間、光を求め苦しんでおられる方(30代男性)が初参拝されました。現実に直面しているギリギリの問題のおかげを頂き、人生が好循環していくよう願われていました。
先祖のルーツ、先祖がしたであろう罪をいろいろと詮索されていましたが、これもまた、「神さまに願い、現実の問題を好循環させるところに、自分や先祖までも含めた罪やめぐりが祓われ、先祖も浮かばれていくから心配しなくていいよ。」と言わせて頂きました。
彼は、カトリックの洗礼を受けられています。しかし、神と人との間に立つホンモノの宗教家にふれなければ、自分は助からないと、願いの宮を訪ねられたようです。私も「カトリックのままでいいから、ここへお参りしておいで。」と言わせて頂きました。
暗い顔をしていた彼ですが、帰ると頃には、顔つきも声色も違っていました。「スッキリしました。また、お参りさせて頂きます。」と明るい笑顔で帰っていかれました。
もうすでに、おかげの好循環が始まっているようです。
【開運のポイント】 人のことをそしる者がある。神道はどう、仏教はこうなどと、そしったりする。自分の産んだ子の中で、一人は僧侶になり、一人は神父になり、一人は神主になり、また、役人になり、職人になり、商人になりというようになった時、親は、その子供の中で誰がそしられて、うれしいと思うだろうか。他人をそしるのは、神の心にかなわない。釈迦もキリストも、みな神のいとし子である。