願いの宮とは

ABOUT US

願いの宮とは > 『願いの宮』開宮ストーリー2

STORY

STORY

『願いの宮』開宮ストーリー2

「世界へ向かって、只ひたすら座る」下積みの修行と現実

今までの出来事や私の思いを聞かされていた先代の父は、やるからには若い頃からやった方がいいと、神職の資格を取得して帰ったばかりでしたが、交代することになり、正式に七代目を24歳で継ぐこととなりました。

また、そこから修行に入り、まずは五年間は徳積みの下積み時代と位置づけ、自身に「五年の座行」を課し、
朝の六時から夜六時まで門外不出で、神前横の結界に座り続けるストイックな修行をさせて頂きました。

「世界へ向かって、只ひたすら座る」下積みの修行と現実

この五年の座行の苦しみは言葉で説明できるものではありません。

24歳から29歳までのいわば青春時代を、何もすることもなく、また誰もお参りのない中を座り続けるのは、不動の精神力を養わなければ、続けれるものではありません。
誰も見ていない、また誰かに評価されるものでもない、ましてやこの修行をやったからといって、その後どうなるのかもわからない中、もくもくと座り続けたのです。

もちろん私も人間なので、やる気のある日もあれば、ない日もあり、体調のいい日もあれば、悪い日もありました。「アホでもできる一生懸命」とはよく言ったもので、アホはアホなりに継続するということが大切であり、そのことがどれほどのものになるのか、後になってわからされるのです。

とは言うものの現実は厳しく、神前の気配は変わっていったものの、1年2年経っても参拝する方が増えていく気配はありませんでした。

いったい私は何のために人生をかけてこれをやっているのか、神様が呼んだからこうやってやっているのに
神様は何もしてくれない…
こう苛立つような思いになる日もありました。

相撲の稽古でたとえるならば、投げられても投げられてもくらいついていくようなもの。
その時はわかりませんが、後になってみて、期待されているからこそ投げ飛ばされ、もっと大きくなれよとの親心で鍛えられていたのがよくわかってくるものです。

そんな中、少しずつ参拝される方も増えはじめ、勢いが感じれるようになった頃、戦災後に建てられたお社では申し訳ないこともあり、また衰退したお社の復興の準備に入るべく、銀行に資金を借り、思い切って宮を新築落成させて頂きました。

まずは神前からということで、外観にはお金をかけていませんが、いずれ外観も増築し、外から見ても立派なお社だとわかるような神道風の建物にしていくつもりでいます。
こうして、5年の座行の後半は、幸いなことに新しい神前に座らせて頂きました。

また、その頃からさらにお参りされる方も増え、奇跡的に病気が治る方や、商売が黒字にV字回復される方などおかげを頂かれる方も飛躍的に増えていきました。
こうして5年間の座行を通したおかげで、神様とつながるパイプのような芯が、押されてもビクともしない、太くて大きなものになっていったように感じています。

「おいっ。むちゃくちゃ言うなよ。」改革、そして挑戦

5年の座行の間は、宮の情報を一切外に発信しないようにしていました。いわば来られた方の口コミのみで、少しずつ広まっていきました。
日々蓄積してきたことを満願以降やらせてもらうことに決めていたので、満願の日が待ち遠しいかったのを覚えています。

特に、誰でも参拝でき、悩みも願いごとも直接神職が聞いてくれる、またお供えの金額も自由で、その上ご利益もある。普通、これだけそろえば興味のある方は多いはず、なのにお参りもまだまだ少ない。

これは情報を発信していないのが問題だけでなく、世間のイメージが邪魔をしているからで、私の嫌いなセクト的な宗教のイメージで、この宮も見られていることが原因であろうということは、容易に想像できました。
このマイナスイメージとも戦わなければならない。

さて、どうするか。いろいろと考え、神様と相談しつつ出した結論が、宗旨宗派を問わない誰でもウェルカムを謳う「願いの宮」というポップな通称をつけるということでした。
5年の行満願までに看板、幟、幕、パンフレットを用意し、満願の日に「願いの宮」を開宮させて頂きました。その後、パソコンを購入、最初の願いの宮サイトを作成させて頂きました。

当時は、インターネットが何なのかもわからないような手探りの状態でしたが、とにかく情報さえ発信していけば、大丈夫だという確信のようなものがあったので、まだまだ幼稚なサイトでしたが、ぼちぼちと発信させて頂きました。

発信すればするほど、北海道から沖縄、さらには海外に住む方まで、お参りに来られるようになりました。
また、ミクシィなどのSNSも盛んになりはじめると、その勢いはさらに右肩上がりになっていきました。

目の前で悩み苦しんでいる人が助かっていく姿を見ると「よかった。インターネットのおかげで、私もみなさんのお役に立つことができる。これで変なイメージともおさらばだ!!」と、水を得た魚とはこういう状況のことをいうのでしょうか、ますますパワーアップしていきました。

ありがたいことに実際に参拝された方の口コミで、さらに宮のことが知れ渡るようになっていきました。
しかし、前に出れば出るほど、増えていったのが、批判、そして誹謗中傷でした。

直接会ったことがある方に批判されるならともかく、勝手な憶測からの批判であったり、私が何かを企んでいるかのように思われる方からの誹謗中傷には、正直戸惑いました。
そんな声が聞こえてくるのも、便利なインターネットの時代なのかもしれません。
一歩前に踏み出すということは、そういうことにも慣れていかなければならないものなのでしょう。

各メディアからも取材依頼が入り出した初期の頃、雑誌、そして出版社からも教派神道に属しているというだけで、依頼してきたのにかかわらず断られるという不当な扱いを受けたことが数回ありました。
現場感覚で願いの宮は面白いと感じられた若くてセンスのある方が、頭の固い上層部に話をあげられたのでしょうが、最終的にダメとのことだったようです。

また、あるメディアのインタビューを受け記事にまでなっていたものが削除されることもありました。
お詫びして来られた担当者に聞いたところ、ある大きな神社の神職が、願いの宮が出るなら協力しないと言いだしたそうです。
結局、力のある神社の顔を立てる形で、宮の記事は削除されました。

しかし、そのような扱いを受けても決してひるむことはありません。すべてを力に変え、ただただ勝手なイメージを払拭するべく、前進するだけでした。

また、同時に増えていったのが応援の声です。
「こんなところがほしかった。宮みたいなところがもっと広まってほしい。頑張って下さい。」
そいう方々のサポートや励ましのおかげで、宮が益々繁栄していきました。

中でも、スピリチュアルな感覚のある方は、感じる波動で判断されるので、勝手なイメージや建物の外観で判断されることはありません。そのような真の感覚のある方が、口コミで広めて下さったことは、大変ありがたいことでした。

こうした不当な扱いも時間とともになくなっていき、その後、扱って下さるメディアも大きなものへと変わっていきました。
面白いクリエーター宮司がいる、願いの宮はポップで現代に合う神社だとして、メディアを通してさらに広まることになっていったのです。

振り返ると、5年の座行までは、己の心との闘いでしたが、次の5年は、今までとは違った内外との間にある分厚い壁との闘いとなりました。

「宮にふれれば、おかげがいっぱい!!」進化する伝統

私がもし親孝行のためだけで家を継ぐというようなモチベーションの低さであったならば、ここまでやろうとは思わなかっただろうと思います。
あの受験前夜、何千、何万の苦しむ人々の声を聞き、そのような多くの方々のお役に立たねばならないと思わされたからこそ、今のモチベーションが保たれているのでしょう。

事実、この5年間で4千人を越える方が実際に参拝され、悩みごとや願いごとを直接聞かせて頂きました。
お礼のお手紙も段ボール2箱ほどになっています。
また、メールでの祈願は既に数万件ほどになり、宮に心を寄せられる方も増えてきています。

また、先日は、東北大学の研究者の方が、願いの宮を題材にした論文を書かれました。
庶民に開かれた場ではありますが、アカデミックなところからも、注目を頂いているようです。

まだまだ、願いの宮は進化の途中です。情報革命とともに、さらにここから成長していくことになるでしょう。ご縁のあった方だけでなく、これからご縁がはじまる方とともに、願いの宮の強みを活かした、
現代に必要とされる宮をつくっていきたいと思っています。

ここまで読まれた方の中には、ご自身の人生と重ねて感じるところがある方もおられることでしょう。

また、抱える問題は違えども、現状をなんとか乗り越えたいと苦しんでいる方もおられるのではないでしょうか?実際に参拝してみたい、そう思われた方も多いかもしれません。
しかし、すぐには行けないという方もおられるでしょう。

そんな方のために、自筆で書いた願い事を郵送する「文祈願」をご用意させて頂いています。

あなたにとって、このサイトとの出会いが人生のターニングポイントになるかもしれません。

御祈願御祈祷
  • 株式会社桃山社中
  • 願いの宮神前式 for LGBT