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曾祖母忠子の父「都静館田鶴丸」と「梶井基次郎」

2005-06-14

【開運メッセージ】人は一代、名は末代というが、人間は一代の内に、死んだ後へ名の残るようなことをしておくがよい。そのように思って働けば、年寄りが集まった時、若い者が礼を言わない、喜んでくれない、と不足話をしないですむ。若い者から、おじいさんおばあさん、話が聞きたい、と言われるような信心をせよ。

梶井基次郎「檸檬」

曾祖母忠子の思い出

曾祖母忠子を祖母が引き取り、晩年を共に暮らした時期があります。

90を越えても記憶力は抜群で、信仰心も篤く、いろんな昔のことを覚えているようでした。

今思えば、私にとって様々なことを教わった有意義な時期だったような気がしています。

父、都静館田鶴丸(先代:今田忠兵衛)

そんな曾祖母忠子の父は、都静館田鶴丸(とせいかんたずまる)という江戸後期から明治にかけて活躍した狂歌師でした。

曾祖母の実家は、紙問屋をしていたため、商売は番頭に任せ、当主は芸術や文化に力を注いでいただようです。

私自身、文化的なことに興味があるのは、そんなところからきているのかもしれません。

同級生、梶井基次郎

また、忠子は、梅田尋常小学校を出ています。

そこでは、大阪を代表する作家のひとり『檸檬』で有名な“梶井基次郎”と同級生だったそうです。

大谷晃一著 『評伝 梶井基次郎』 でも、美人で有名だった忠子に憧れていたと書かれています。

基次郎は、31歳の若さで肺結核によって亡くなりました。

遺作である小説 『のんきな患者』 では、大阪の下町で医者にもかかれない結核患者たちを描いていますが、死を目前にするも、母親と主人公(本人)との漫才のような会話が続いています。

大阪人はどんな深刻な場面であっても冗談を言い場を和ませるという誇るべき気質があります。

この感覚は、生きる上で非常に大切なことだと思います。

願わくば、まだまだ作家として作品を残してもらいたかった思いでいっぱいです。

弟、今田忠兵衛

さらに忠子の弟は、ボーイスカウト連盟でも活躍した総コミッショナー今田忠兵衛です。

私も、この忠兵衛さんに、小さい頃、可愛がっていただきました。

いろんな方々のお世話になり、また少なからず影響を受けて、今があるということを忘れないようにしたいと思っています。

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