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お知らせ
罪悪感は疫病神か?それとも福の神か??
2012-09-22
【開運メッセージ】おかげが受けられるか受けられないかは、わが心にある。わが心さえ改めれば、いくらでもおかげは受けられる。
はじめに(罪悪感を抱えている方へ)
夢を実現させたい、人生を開運させたいと願ったとしても、罪悪感を抱えたままでは、本当の意味で開運することはありません。
どちらにしろ、罪悪感を抱えたまま、開運を願うということは、アクセルを踏みながら同時にブレーキを踏んでいるようなものだといえます。
この罪悪感は、ある意味、疫病神みたいなもので、取り憑かれると自分自身を攻撃し、苦しめる元凶になるため、到底幸せになる道からどんどん外れていくと思われています。
もちろん、私も今までは、そのように理解してきましたが、いろんな方々の悩みを聞かせて頂いきて来た中で、本当の罪悪感と、偽物の罪悪感があることや、また、一概に疫病神とはいえないということもわかってきました。
あなたの抱える罪悪感はどちらですか?
本物の罪悪感
心底、自分は間違っていた・・・と反省し、改まりたいと思う時、この罪悪感からは、自己を成長させるエネルギーを感じます。
自分を大切にし、前向きに生きたいと思うからこそ、そうではない自分自身に納得がいかないと感じるのは、当然の心の働きでしょう。
本当の罪悪感は、成長したい、変わりたいという自己を愛する欲求から生まれるものです。
なので、「罪悪感」=「悪いものだ」と思い込まないようにしたいものです。
偽物の罪悪感
やっかいなのは、こちらの方かもしれません。
罪悪感だと本人は思い込んでいるものが、実は罪悪感ではなく、自分を守るため、誰かに否定された時の言い訳をするための逃げ道(偽物の罪悪感)である場合があります。
なので、罪悪感によって生きる意欲を失ったり、自分のことが嫌いになったりするのは、本当の罪悪感ではないといえるでしょう。
どうせ私は誰からも相手にされない、どうせ私は愛される価値のない人間だなどは、偽物の罪悪感からくるものです。
迷惑にならないようにしようという他者への振る舞いが、他者への思いやりからくるものなのか、それとも他者に嫌われたくないという不安感からくるもなのか、一度見つめ直してみる必要があります。
では、どうすればいいの?
罪悪感を対処するには、いろいろな方法があるのでしょうが、私が一番おススメするのは、宮の神前横にある結界で話を聞いてもらうことです。
結界は、天地の乳房と呼ばれ、なにより神様の愛情にふれることが、罪悪感が消えていく一番の近道であるといえるからです。
「えっ、そんなことで?」という内容の罪悪感で悩まれ、自分の人生にブレーキをかけている方もおられますが、そんな方は、結界で話を聞いてもらえば、すぐに人生が好転していきます。
変わりたい、成長したいという、暗闇の中にあるかすかな光は、己の中にある希望であるのと同時に、神様の方からお照らし下さっている救いの光といえます。
もちろん、故意ではないにしろ自分のミスで悲しい出来事が起きてしまった等、罪悪感を抱えたままではいけないと思いつつも、すぐになくなるような簡単な状況ではない方もおられるでしょう。
とはいえ、その罪悪感を、何年も何十年も抱えていては、自身の人生が灰色のままで終わってしまいます。
「私は幸せになってはいけないんです」という自己を否定するような言葉もたくさんの人の口から聞きました。
実際、そんなことはありませんし、そう思われているならなおさら幸せになってもらいたいと、私は祈らせて頂いています。
もちろん、他人からはいろいろと言われるかもしれません。
それはそれで受けて行かなければならないこともあるでしょうが、だからといって幸せになってはいけないという理由にはなりません。
また、偽物の罪悪感に悩んでいる方も多々おられます。
自分のことはさておき、他人の気持ちばかりをくみ取り、つい自分の気持ちを抑えてしまう。ある意味、周囲に振り回され、自分というものがない状態で生きているといえるでしょう。
罪悪感の根が深い方、偽物の罪悪感に惑わされている方、こんな方は、一度にとはいいません。
宮に参拝可能な方は、定期的に足を運び、改めるところは改まり、前向きに生きるエネルギーに変えるためにも、結界にふれて頂きたいと思います。
罪悪感に正面から向き合うと、疫病神だと思って避けていたものが、実は前向きに生きたいという心の裏返しであったり、不安感から逃げ道にしているよとのサインを投げかけてくれているということを知るでしょう。
そう思うと、罪悪感は、自分の足りないところを教えてくれる疫病神ではなく、福の神なのかもしれません。
最後に
中には、罪悪感の欠片もなく、自己中心的にズケズケと生き、周りから嫌われている方もおられるかもしれません。
ここでは、そのような方のように「罪悪感を持たない」=「自己中心的に好き勝手生きよう」と言っているわけではありません。
罪悪感もなく、前向きでに生きると同時に、他人への配慮や思いやりは、常にもつことを忘れてはいけません。