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願いの宮は岐路に立つ人、起死回生を賭ける人を応援します。
各界でご活躍されるトップランナーから日本一縁起のいい宮司こと、
桃山宮司が開運の秘訣についておうかがいします。

特別対談

伝えゆくもの、百年のその先へ。

ご鎮座百年を祝い、桂米團治師匠が願いの宮にご来訪されました。
上方落語の雄が語る、伝統の継承と次代への展望を桃山宮司がうかがいます。

落語家・米朝事務所代表取締役社長
桂 米團治

願いの宮7代目宮司
桃山 きよ志

伝えゆくもの、百年のその先へ。 桂米團治師匠

【第 2 回】うちの親父は神社の子。人間国宝・米朝の生き様

人間国宝・桂米朝の知られざる素顔を、息子ならではの視点で米團治師匠に語っていただきます。
ご実家では神道を信奉されていたという経緯もあり、
日々の暮らしに信仰心が息づいていたと語る師匠。
そしてそこにはひとりの人間としての米朝師匠の姿がありました。

うちの親父は神社の子。
代々受け継がれてきた
神への畏敬の念。

米團治やっぱり祝詞奏上って大事なものですか。

桃山日々おこなっています。師匠のおうちも神式ですよね。

米團治小さいものがあります。僕も親の姿を見て幼い頃から手を合わせていました。僕の実家、中川家では米朝も神職の資格を取っているんですよ。ひいお爺ちゃんが、姫路の九所御霊天神社の宮司さんが亡くなったため、そこを任されたそうです。

桃山ほう。

米團治うちの親父は姫路の神社で育ちました。お正月にはみんなでいろんな物をもってきて、どんどで札を焼くところをずっと見てきたわけです。僕らが子どもの頃は、なにかあったら、まず神様にお供えして『御供(みけ)神酒(みき)菓子(かし)魚(うお)海菜(かいさい)野菜(やさい)』の順番で並べるんや、と。地鎮祭のときに、どちらかの神職の方がいらしたときは、あの祝詞はあかんかったなあと(一同爆笑)

桃山喋りの本職の方たちの前ですからね。手厳しい(笑)

米團治米朝を見ていると、どんなに酔って二日酔いでも、神棚に手を合わせていました。だから神様は大切にせなあかん、神様はこわいもんやという気持ちはありましたな。

桃山なるほど。

米團治僕自身は神棚に手を合わせるくらいで、きっちり学んだことがない。ただ、神様と交信する場所が神社である。だから今もその前を通るときは礼をして、なにかしらのお祈りを心の中で唱えています。すると、あっ、降りてきはるのかな、と (笑) 神社にお詣りに行くと、ああここの境内は気が爽やかだなあ、という印象を受けるときがあります。あるいはここの神社、形だけやなあとか。その程度の感覚しか持ち合わせていないのですが、目には見えなくても、気をうまく流すことがエネルギーの循環になるのかなあと感じています。僕は時間があるとふらっと神社を散策するのですが、丹後の宮津に元伊勢籠神社の奥の宮で、真名井神社というところがあります。ここはそれこそ立っているだけで、エネルギーを感じさせる天と地が繋がるような場所です。奈良でいったら、大神神社(おおみわじんじゃ)、大神さんもそういった印象を受けますね。

【第 2 回】うちの親父は神社の子。人間国宝・米朝の生き様

生きることと死ぬこと。
人間国宝・米朝の死生観。

桃山ご実家が神社に縁が深いということで、お父様とはそうしたものについてはどうお話されていたのですか?

米團治米朝はあまり詳しくは語らなかったですね。彼の死生観、とでもいいますか、死ぬことと生きることはそんなに違わないんだよ、ということは話していましたね。

桃山そうだったんですか。

米團治いずれは行くところ、早いか遅いかだけの違いやと。たとえ無二の親友が亡くなったとしても、彼は悲嘆に暮れたり、過剰に悲しみを表現しなかった。ええーっ、なぜだ!といったようにね。兄弟子に桂米之助、という人がおりまして、本名からえっちゃん、えっちゃんと呼ばれ慕われておりました。わからんことは、このえっちゃんに聞けと。ある日のこと、今はなき、ホテルプラザのマルコポーロというバーで、仕事終わりに米朝がお酒を飲んでおりましたら、彼の訃報が飛び込んできました。ビールをがーっと飲んで、メニューを見ているときに、僕が「師匠、えっちゃんがお亡くなりになりました」と告げますと「えっ、えっちゃんが死んだか…」と感慨にふけるわけです。しかし一瞬で気を取り直して「サイコロステーキひとつ」という具合でしたな。(一同爆笑)

桃山ショックで食事が喉を通らなくなるでもなく?

米團治無二の親友が死んだとはいえ、サイコロステーキが食べたい気持ちにブレはない。そこは彼の中では同等なんですな。米朝の死生観がよくわかるエピソードだと思います。

【第 2 回】うちの親父は神社の子。人間国宝・米朝の生き様

プロフィール

桂米團治(かつらよねだんじ)

1978年、父である桂米朝に入門、桂小米朝を名乗る。2008年、五代目桂米團治襲名。上方落語特有の華やぎを大切にしながら古典落語を追求。独自の世界を構築している。
桂米團治オフィシャルブログ 
http://yonedanji.jp

桃山きよ志(ももやまきよし)

神道家の家に生まれる。1999 年七代目を継承。戦災により衰退した旧宮の復興を願い5 年間の行に入る。2004年、5年の行満願に伴い、宗旨宗派を問わない「願いの宮」を開宮。国内外から多くの参拝者の支持を得、新進気鋭の神職としてメディアにも多数取り上げられている。

【第3回】へつづきます

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