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お知らせ

言葉に縛られない

2007-09-18

参拝にあたっての問い合わせを多数頂いていますが、場所(アクセス)願い取次の時間帯等すべてサイト上に書いてあるので、そちらで再度確認して頂きますようお願いいたします。なお、行事日は避けて参拝して頂ける方が、願い取次を受けやすいかと思います(応援メッセージは、こちらからどうぞ)。

“ご利益(おかげ)信仰はダメ”という話を世間ではよく聞くことがあります。しかし、私はこの表現があまり好きではありません。“ご利益(おかげ)に偏った信仰はバランスがよくない”ぐらいの表現ならまだわかりますが、受け取り方が悪いとご利益(おかげ)そのものが悪いかのように聞こえるからです。

確かに、欲深いことで足もとをすくわれることもあるでしょう。しかし、同時に欲がなければ物事は前に進んではいかないことも忘れてはいけません。これは神様に願いつつ、おかげを頂く中で折り合いをつけていくべきことでしょう。「欲をもつことはいけないこと。神様に願うこともいけないこと。」、そんな言葉をそのまま鵜呑みに聞いていると、その言葉自体に縛られてしまい人生そのもののバランスを崩してしまいかねません。言葉には、表の意味だけでなく裏の意味もあります。言葉通りにそのまま受け取ればいいというものではないのです。同じ欲をもつなら、我情我欲(自分勝手な欲)ではなくて、正情正欲の強い願いをもたせて頂きたいものです。

今日は、東京、岡山、和歌山、大阪等各地から「『ゆほびか』を読んで願いの宮を知りました。」と言われる方々の初参拝が続きました。中でも、和歌山県在住の女性(60代)は、「今まで、“神様には感謝するもので願うものではない”という言葉に縛られてきました。現状はといえば、経済的にも大変苦しいどん底の状況です。どうにかこの状況を脱したい、そんな時に願いの宮の存在を知って、目の前が明るく開けました。」と嬉しそうに話されていました。

目の前が明るく開けたと言われた彼女でしたが、それでもまだ話を聞かせて頂いていると、出口のない同じ所をぐるぐると彷徨っているようでした。「いろいろと聞かせて頂きましたが、ただひとつ“あなたは、これからどうしていきたいのか、どうなりたいのか”そのことさえハッキリさせて願った上で、実行していけば自然と神様は人生を整えて下さいますよ。」と言わせて頂きました。

神様に感謝しているだけで上手くいく方もおられるでしょうが、それはもともと身に備わったお徳、先祖代々からの徳があるからでしょう。徳があれば、神様(運)がついて回るので、自然と人生が整っていくものです。しかし、それとは対極にいる業やめぐりの深い人間は、そもそもマイナスからのスタートです。水面より上にいる人間は自然と呼吸もできるでしょうが、水面より下にいる、もがき苦しんでいる人間はそれすらできない状況にあることを知っておく必要があります。水面下にいる人間は、救いの手を差し伸べて頂くためにも、必死で神様を呼ばなければなりません。水面より上にいる人間の真似をしている時間の余裕はないのです。

【開運のポイント】我を放せば神になるというが、人間は、生きている間は健康繁盛を願い、農家が五穀成就を願い、商売人が商売繁盛を願うのは当たり前の欲である。我を放さなければならないといって、商売人が損をしたり農家が穀物を取らなかったり、人間が早死にをしたりしたら国はもたない。

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